2008/06/17

床屋



ぼくの行っている床屋さんは、幼なじみの美穂ちゃんの家だ。
おばさんが一人で理容室を経営している。

午後6時、待合席で週刊誌を読んでいた。
「告白・人妻の性/白昼の出来事」というモノクロページは、
13歳のぼくには十分興奮する内容だった。

「おまたせ。」
びっくりして顔を上げると、おばさんは
店のドアのカーテンを閉めながら言った。
「今日は、よっちゃんが最後のお客さんだよ。」

一通り髪を切り終えたところで、おばさんが急に聞いてきた。
「よっちゃん、マスターベーションとかしてるの?」
ぼくがビックリして何も答えられないでいると、おばさんは、
「じゃあ、頭洗おうか。」
と言って、お客が座ったまま頭を洗えるシンクのようなものを引き出した。

下を向いて、おばさんに頭を洗ってもらっている間、
さっき読んだ週刊誌の記事とおばさんの質問が頭を交互に支配していた。

「はい、おしまい。」

立ち上がって、服についた髪の毛を払ってもらっている時に聞いてみた。
「今日、美穂ちゃんは?」
「美穂は友達の家に泊まりに行っちゃってね。」
数秒の沈黙の後、思い切って聞いてみた。
「おばさん、マスターベーションとかしてるんですか?」

(終)

2008/06/13

カタメとの思い出


僕は自分の性体験をなぞることで、弱変態の“作られ方”を検証してみます! 3回目はかなりエロが発達してきた、小学校6年生の時のお話。

平川さんにちんちんを見せて以来、あだ名はすっかり「鎌ちん」に定着してしまった。

あだ名といえば、子どもはなかなか残酷かつユニークなあだ名を開発する。
漁師の息子で、クラスで一番大きなおでこを持つ浜野君は「浜一」というあだ名で、 服がいつもお線香くさい中村君はなぜか「梵鏡」(ボンキョウ)。 片方の眼が少し潰れた杉沢君は「カタメ」で、 太っている池田君は、当時流行っていたブースカに似ていたことから「ヤッチャブー」。 やはり漁師の息子で気性の荒い三浦君は、下の名前から「マサカリ」と呼ばれていた。

学校の帰り、皆で岬に探検に行くことになり、 浜一、梵鏡、ヤッチャブー、○○○、カタメ、そして鎌ちんこと僕の6人で、 徒歩15分くらいのところにある岬に出かけた。

その岬は観光地なので、夏になると大型のバスに乗ってたくさんの人がやってきて賑わう。
でも、その時はもう秋で風も冷たく、海峡の波がドバドバ襲ってくるような、 ちょっと怖い感じの岬で、もう観光で来るようなひとは少ない。

6人で崖から海岸の岩場に降り立ち、探検の雰囲気を携えてどんどん激しい方向へ進んでゆく。 目的地は、しばらく進んだところにある洞窟だ。
奥行き10メートル、高さ幅ともに5メートルくらいの洞窟で、前から探検といえば、ここが候補になることが多かった。

最初にそれを発見したのは、浜一だった。
「おぅ!ここさ女のパンツあるべ」
「どらどら。どこさあるってか。」
みんなが集まって声をあげる。
「うわっ、汚ったねぇ!」
花だったか、苺だったか、明らかに女性もののそれは別段汚れているというわけではなく、 そこに置かれてから、それほど日数が経っているようにも思えなかった。

僕は、本当は手に取ってじっくり見てみたかったけど、 周りのみんなが既に“汚ねー”という烙印を押してしまったので、 それを押しのけてまで、触ることができなかった。 絶対エンガチョされるに決まっている。

僕以外、ただひとり「カタメ」は黙って輪の外に立って眺めていたけど、 奴はいつも無口だったから、ほんとのとこどう思っているのかは分らない。

翌日どうしても気になって、“パンツを手に取る”ために、 放課後一人でまた例の洞窟に行った。 少し怖かったけど、急ぎ足で現場へ向かった。

でも、その洞窟には先客がいた。
「カタメ」だった。 僕が目撃したカタメは、手にパンツを取って横に大きく引っ張って伸ばしていた。
僕は気付かれないよう、そこから離れた。。。

その後ヤッチャブーは先生に、マサカリはヤクザになったらしいが、 浜一、梵鏡そしてカタメが、その後どういう人生を辿っているのかは知らない。

2008/06/04

きのこの山

会社の仲間、男女3人ずつでキノコ狩りに栃木の山へ。
途中みんなとはぐれて1人だけになってしまい久しぶりに心細い心境になる。はぐれてからもう1時間経過。雨が近いのか、空気が段々湿り気を帯びてきた。心細さは焦りへと変化してきて、行く先の見当もないまま走りしはじめる。と同時に、木々の緑を透かした大粒の雨が降ってきてしまった。
なんでだかブルーハーツの「トレイントレイン」を囁くように歌いながら、山の傾斜で走りづらいけどなんとか進むと、物置のような小屋があった。多分ふもとの村の人たちの山菜をとりに来たときの、休憩用のものだろう。
確信がないのに開いてるはずと思い、薄い木の扉を押すとやすやすと開いた。

ん?誰かいる? 中に入ると女の人がビニール貼りの椅子に座っていた。
女の人も僕も突然の出会いにおどろいたけれど、よく見ると一緒にキノコ狩りにきていた須田さんだった。須田さんもぼくと同じにみんなとはぐれと言った。
お互い1人ぼっちが2人になった安堵感を共有しながら、リーダー格だった伊藤くんの先走りっぷりを、冗談ぽく揶揄する余裕も生まれた。
須田さんとは普段表面的な話ししかしないけれど、周囲の彼女についての評判はあまりよくなかった。はっきりいって性格が悪い。実は今回のキノコ狩りの参加も、男女の数合わせということは、本人も気がついていたと思う。須田さんが貧弱な小屋の、貧弱な椅子に座り、ぼくと向かい合っているこの状況は最初の安堵から徐々にいつもの打ち解けない緊張状態に変わり始めていた。

小屋の中は土の匂いと、藁だとおもうけど枯れた草の匂いと雨の湿気が混ぜ合わさって、やや重い空気を作っていた。須田さんも僕もお腹がすいてきた。
外は大雨が続いている。みんな今頃はふもとの売店で山菜うどんでも食べているんだろうか。似たような想像でもしたのか、須田さんのお腹がネコのノドのように鳴った。するとすでに結構な収穫であったキノコをリュックから取り出し、須田さんはそのままむしゃむしゃ食べ始めてしまった。
驚いた。 須田さんは性格は悪いうえに、しかも変わっている。須田さんはおいしそうに生のキノコを1つ、2つと食べ進み、ぼくもならおうかどうしようか迷っていると、3つ目を口にしようとした時、「え?」という声とともに座っていたビニール貼り椅子からすべるように、地面にゆるやかに落ちていった。
予感は当たった。須田さんが食べたのは、なんていうキノコでどんな毒成分があったんだろう。大体なんの知識もない素人がキノコを生でたべるなんてどうかしている。

須田さんは特別苦しそうではなかったけれど、体がしびれて動けないようだった。すぐ助けを求めに行動しないといけないのに、そうさせなかったのは、須田さんの置いていかれるのではという心細さと恐怖が混じった表情だった。
その表情は下に敷物なんてない、ただの固い土の上に仰向けで寝ている、身動きがとれない須田さんのこのうえなく無防備な印象を強めていた。
無防備。。。。?
ぼくは須田さんを辱めたくなった。まず足首をそっと握ってみた。少し泥がついている薄手の靴下の上から握ってみた。案外足首が細いのが嬉しかった。今度は靴下をくるぶしまでさげて、ややとがったくるぶしを舌でペロッとしてみる。
須田さんの表情を確認してみる。ぼくの眼をみているけど、力がない。状況が理解できないのだろうか。。。須田さん、こうやって観察するとバランスのいい体型だったんだね。
須田さんのジーンズのボタンを外しファスナーをゆっくりおろす。ファスナーが末広がりに解放されてゆくと下腹を覆う薄クリーム色の下着が垣間みれた。ジーンズの淵をつかみ、ずりおろそうとする。須田さんの腰の張りが手間取らせるが、なんとか下着と一緒に土手の部分を隠す状態までおろし、そこであえてとめておく。腰骨は十分さらされて、脚の付け根からはえる線も少しだけみえる。
じわじわと須田さんが恥ずかしがっている様子が伝わる。ややふくらんでいる下腹にうっすら汗をかいている。そうだ、中途半端な状態で覚醒されては困る。
ぼくは須田さんのリュックに残っているキノコをなるべく素早く咀嚼して須田さんに口移しした。鼻をつまむとなんとか飲み込んでくれた。今度は上着のパーカーのファスナーをゆっくりおろす。 (つづく)

2008/05/28

「恵みの雨」1 めぐみのケーススタディ


戸越駅に着き、地下鉄の階段を上がって約束の場所に着いたときは、すでに西の空に重たい雲が迫ってきていた。朝は快晴だったのに、そのとき傘を持ってくればよかったと思った。
「はじめまして、若村です。」今日会う予定のめぐみとは、そこですぐに会えた。
「お天気、なんか怪しいですね。」と彼女も空を見てぼくが感じたことと同じことを口にした。
午後2時、彼女のお気に入りの喫茶店がなぜか満席だったので、仕方なく国道沿いのチェーン店のドーナツ屋に入った。
佐山めぐみ、32歳、主婦。ぼくのサイトではレイプ願望があるMオンナというプロフィールを出している。幼稚園の娘が一人いて、中肉中背。髪を横に分けていて、顔や立ち姿にとりわけ落ち着きと品がある。その反面、花柄のふわっとした丈の短いワンピースに、いま流行の黒のレギンスを履いている。結婚して子供がいるようには見えない20代のファッションだ。恒例の、芸能人で言うと、サントリー金麦のCMに出ている女優さんによく似ている。ぼくの世代ではウエディング・ベルという歌を歌ったシュガーのひとりにそっくりと言った方が言い当てているかもしれない。なんか懐かしいような、前にもあったことがあるような、そんな不思議な気分がする。
「あのう、昔、シュガーっていう3人組がいたんですけど。その中の…」
「ああ、シュガーのモウリに似てるって言いたいんでしょう?
昔よく言われました。確か、亡くなったんですよね?」
「そうなんですよ。ぼく学生のとき、ちょっとファンだったので、
亡くなった時は、信じられませんでした。」
隣りのテーブルの客が近いせいか、亡くなった人の話をしてしまったせいか、なかなか本題に入りづらい。
「さて、めぐみさん、今日は取材と言うことでお願いします。」
「はい。・・・あっ、なんか外、雨が降って来たかも・・・。」
「あ、ほんとですね。」
「あの、すいません、洗濯物を干してきちゃったので、一旦家に帰ってもいいですか?」
「はい、もちろん。じゃあ、急ぎましょうか。」
ということでそこで何の話もできないまま、大粒の雨が降り出した中、二人は彼女の家の方へ小走りで向かった。まだ本格的な夏でもないのに、夕立の時のようなシャンパン色の低い空になり、強い雨が地面をたたいて上がるあの独特の空気の匂いが辺りを立ち込めている。
5分もしないうちに、彼女のマンションのエントランスらしきところへ辿り着いた。
彼女がオートロックの鍵穴にキーを差込み、ガラスのドアが開いた。エレベーターに入りドアが閉まると、ふと二人は我に返った。髪から服からびしょ濡れになっているのを互いに確認したからだ。目と目が合って、二人とも笑うしかなかった。そんな彼女の姿にあらためて色っぽさを感じた。人妻っていう響きはさらにそれを助長する。エレベーターという狭い個室で二人きり。服もピッタリと彼女の体の纏わりついて、体のボリュームやラインをダイレクトに感じる。濡れた髪を頬にペッタリ付着させたまま、上目づかいの彼女の視線を見ると、なんとも形容しがたいが、まるで犯されたいと願っているとしか想像できない。でもこれはぼくの妄想だろうか。
エレベーターのドアが開き、廊下を歩いて403号室の前で、彼女は鍵を取り出した。外の雨はどんどん激しくなってきている。
「あのう、上がってください。子供がいて部屋が片付いてないんですけど…。」
「お言葉に甘えて。」
ぼくは久しぶりにワクワクした。突然の大雨に感謝だ。
「すみません、お先に。」と言い、彼女は奥のリビングへと急いだ。ベランダの洗濯物を急いで取り込むのだろう。その辺はさすがに主婦だ。玄関にひとり残されたぼくは、下駄箱の上にある家族の写真を目にした。家族3人でディズニー・ランドでの写真だろうか。幸せそうなとてもいい写真だ。この写真を見る限りは、彼女はぼくのサイトであんな投稿をするとは想像もつかない。つくづくオンナってのは男より遥かに巧みな生き物だ。
「えっと、すみませーん、若村さーん?でしたっけ?」
遠くから大きな声でぼくを呼んだ。
「あ、はい。」
「どうぞ、入っててください!」
ぼくはこれから何が起こるかをあまり構えずに、靴を脱いで素直に入ることにした。
(つづく)

2008/05/25

おっぱいの力




おっぱいが好きだ。
もちろん、実際に見たり、触ったりするのも好きだけれど、
おっぱいという存在自体が好きだ。

多分、男は24時間、おっぱいが近くにあっても嫌にはならないと思う。

おっぱいという言葉にも不思議な力が宿っていると思う。

試しに

おっぱい

と心の中で10回、言ってみる。
なんか幸せな気分になる。

今度は、

っぱい おっい おっぱ

と心の中で強弱を変えて言ってみる。
やっぱり、なんか嬉しい気分になる。

しつこいと言われそうだけれど、

オッパイパーイ

とショウヘイヘーイの要領で心の中で。
やっぱ、ワクワクする。

これは、おっぱいという言霊だと思う。
どんな疲れている時でも、ネガティブな時も、おっぱいと唱えるだけで、前向きになるのだから。

弱変態な面々、直本さん、富松さんと食事に行った時、
エレベーターの中で「しらの君って、胸が厚いね」っと触ってきた。
試しに他の人も5~6人いるエレベータの中で、
「おっぱい触らないでください!!」と言ってみた。
「そういわれると胸が厚いね」とまた触ろうするので、
「だから、おっぱいです!!」と言ってみた。

気のせいか、ボクを含め3人はニコやかだった気がする。
きっと、おっぱいの力に違いない。

2008/05/21

コントラスト


午前11時、ぼくは日比谷線に乗っている。

銀座から乗り込んできた親子がぼくの向かいの席に座った。
子供は3歳くらいの男の子。
母親は年齢は30代半ばくらいだろうか。
色白でややほっそりとしている割にはスタイルが良く、髪はストレートで艶があり、
元々肌もきれいなのか、うっすらと化粧をした程度でとても上品に見え、スキがない感じだ。
一児の母親にはとても見えない。

神谷町で多くのサラリーマンが下車し、車内は閑散としていた。
読んでいた小説にも飽きたので、栞を挟み、バッグに文庫本を入れようとした時、
向かいの男の子が手に持っていたスナック菓子を床に落とした。
母親は、男の子を一瞬叱りつけ、床に散らばったスナック菓子を拾いはじめた。
見ぬふりをするわけにもいかず、ぼくも席を立ち、床にしゃがんで一緒に拾った。

スナック菓子を拾い集める母親の方を見ると、
下に大きく開いたシャツの襟元からブラジャーが見え、
そしてその奥に、かなり大きな、今にもちぎれ落ちそうな黒ずんだ乳首が見えた。
かなりの貧乳で、ブラジャーとおっぱいの間に2cmくらいの隙間ができていた。
ぼくは、スナック菓子を拾いながらチラッチラッと見続けた。

親子は広尾駅で降りていった。
その、外見からは見いだせないちょっとだらしのない感じと、
そして、貧乳と大きな乳首のコントラストが、ぼくにはとても心地よかった。

2008/05/19

平川さんとの思いで


僕は自分の性体験をなぞることで弱変態の“作られ方”を検証します!
2回目は比較的記憶が残っている、小学校5年生の時のお話。

平川さんは、クラスの中では快活なグループに属する女子だ。
記憶によると、いつも5人くらいの女子仲間で行動していたように思う。明るく行動的なグループで、成長が早く体の大きな子が多かった。

何かの宿題が出た折、先生に「調べものは、男女ひと組づつのペアを作ってやりなさい」と指示され、どういう経緯だったかは思い出せないけど、結果的に僕はその平川さんとペアを組むことになった。

それまで彼女と口をきいたことはあったけど、特別仲が良いというほどではない。むしろ彼女のグループの他の女子とよく話したりしていたから、平川さんと組むことになったとき、軽い緊張状態のまま調べものが始まった。

彼女は特別かわいいというわけではないけど、少しだけ色素が薄いのか、瞳が薄茶で肌がとても白く身長も高いから、一緒に居ても悪い気はしない。
二度ほど会って話すうちに僕たちは徐々にうちとけ、いろんな話をするようになった。
図書館へ行ったり、お互いの家に行ったりして。

ある日のこと、今回は僕んちで調べものをやろう!ということになり、放課後にモゾウ紙とマジックを持ち、彼女を家へ連れて行った。やはり快活なグループに所属する女子だけあって、馴れてくると結構ストレートにいろいろなことを言ってくる。

「お腹すいた。なんかお菓子無いの?」
「のど渇いた。」
「疲れた。。。」

これじゃ、快活というより躾の悪いワンちゃんみたいですけど。

でも、なぜか僕は抗えない。
色素がやや薄の女子のワガママが、少しだけ心地よかった。
当時、まだアッシーとかメッシーなんて概念はなかったけど、その時の僕は、間違いなく家来だった。
平川さんに仕えることが、なぜだか嬉しかったのだ。

両親は共働きで家にいない時間なので、自由に菓子やジュースを引っ張り出しては機嫌を取るように、平川さんへ供給する。せっせ、せっせと。

ジュースを注いでいるときのこと、唐突なその一言が僕を凍りつかせた。

「あたしさぁ、おちんちんって見たこと無いんだよね。」
(な、何てことを言うんだべ、この女は!)
「Kくん、見してよ、見して。」
(えっ!ぼ、僕の?。。。)

いま思うと、迷ったこと自体おかしいような気もするけど、なんとか応えてあげたい、という妙なホスピタリティとちんちん晒して、どんな反応するのか見てみたい、という悪戯心が交錯した。

固まった僕を、平川さんが面白いようにもてあそぶ。
瞬時に天性の感覚で、僕のMを見破られている。
この場を早く脱しなきゃ。

でも、なぜか僕は抗えない。
「ほんとに、み、見てぇの?」
平川さんは消しゴムを買うみたいに事務的に命令する。
「はやく。」

僕はジュースの瓶をいそいそとテーブルに置いて、腰回りにゴムが入った貧乏なズボンに手をかける。さっきは冷たくさえなった身体が、今度はカッと熱くなる。顔にも血が昇ってくるのがわかる。
そして、ズボンとパンツの両方に指をかけエイッ!と一気にずり下ろす。

「きゃーっ!!」
本当にヤリやがった、とでも言わんばかりに意外な顔をしてみせた彼女は、お決まりのように顔を覆った指の間から、僕の万願寺唐辛子(少し成長しました)を凝視する。
毛は無く帽子をしっかり被り、袋はちぢみ気味で、全体的にミルクココア色。当時活躍していた俳優の金子信雄さん的な風貌だ。

「信じられない、気持ちワルいぃ。」

たぶん露出していた時間は、正味2秒にも満たないだろう。でも、一つ一つのリアクションが実際の時間を何倍にもしていた。その後は頭が真っ白になり、後悔と翌日からの恐怖で一夜を過ごした感覚だけが残っている。

そして案の定、地獄が次の日の朝始まった。
授業前の休み時間、彼女の仲良しグループに取り囲まれ小突かれる。

「あんた、川っち(平川さんのあだ名)にアレ見せたんだって?」
「それって露出狂だべさ!変態!」
「変態!」

僕が初めて“変態”の肩書きを他人から頂戴した10歳のことでした。